ブラインドテニスとの出会い

東京オリンピック・パラリンピック、夏の甲子園などコロナ禍の中、
様々なスポーツが行われています。
今回は私がブラインドテニスに出会った時から現在までのお話です。

 

 

私が初めてブラインドテニスをプレイしたのは、
今からおよそ18年前の小学5年生でした。

 

この当時母が視覚障がい者でもできるスポーツはないのか?と
探していた時に知り合いから「テニスがあるよ」と教えてもらい、
豊橋で体験会を開いたことが最初です。

 

東三河地域ではブラインドテニスのクラブはなかったのですが、
たまたまテニスを教えてくださる方がいたこともあり
豊橋にクラブを立ち上げることになりました。

 

 

当時はまだ視力があったので
母について行って遊び半分でプレイしていました。
年齢を重ねるにつれて遊びから一人のサポーターとして
関わるようになっていきました。

このテニスは障がい者と晴眼者が
ペアを組んで行うミックスダブルスがあり、
私も中学生ごろから大会に出場するようになりました。

ブラインドテニスの様子

しかし20歳を過ぎたころから緑内障を発症してしまい、
視力、視野が徐々になくなっていき、
障がい者手帳を取得しました。こうなってしまえば仕方ありません。
今度は自分も選手として練習して試合に出場です。

 

ブラインドテニスのクラス分けは、
視力や視野に応じてB1からB3まで分かれています。

はじめはB3クラスからプレイをし、試合にも出場しました。
病気の進行とともに見えづらさが増して
現在はB1クラスで練習をしています。
B1での大会出場はまだできていませんがコロナが落ち着き、
大会が開催されたら試合に出て勝てるように頑張りたいです。

 

 

ブラインドスポーツは当事者だけが行うものではありません。
ブラインドテニスは晴眼者もダブルス競技で出場することもできます。
また日々の練習も私たちだけではできません。
サポーターになってくれる晴眼者の協力があってこそなのです。
コートの設営や練習中の球拾い、
練習相手など様々な場面で助けていただくことがあります。

 

小学6年生の作文でテニスのことを書いたら担任のI先生が
すごく興味を持たれ見学に来てくださいました。
それからは一緒にテニスを楽しむようになり
現在でもサポーターとして関わってくださっています。

 

 

私はブラインドテニスのように障がいの垣根を越えてできる
スポーツはとてもよいと感じています。
これからも障がいの有無に関わらず
皆で楽しくプレイしていきたいです。(本部 中西)

最新情報の一覧に戻る